2018年1月19日金曜日

文献紹介:水島治郎『ポピュリズムとは何か』

 今回の文献紹介では、水島治郎『ポピュリズムとは何か』を取り上げる。この著書は2016年末に初版が出された新書で、現在話題の「ポピュリズム」という思想潮流を様々な事例を挙げつつ分かりやすく解説した著書である。以下、著書の内容を要約する。

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ポピュリズムとは何か

 ポピュリズムの特徴は、エリート批判とカリスマの存在に見られる。ポピュリズムはエスタブリッシュメント(支配階級)に対する「下」の強い反発運動を基盤とし、グローバル化や外国人受け入れを一方的に進めるエリートに対して、「人民」重視の姿勢を示す傾向にある。その動きを、党内手続きや「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」に縛られない「民衆の声」を代表するリーダーが率いるのである。ただし、こうしたポピュリズム政党やポピュリストのイデオロギーには「薄さ」が看取され、具体的な政策内容では特徴付けられないことが多い。彼らは民衆の直接参加を通じた「よりよき政治」を積極的に目指すが、これが政治エリート支配への批判や民衆の自己統治を訴えることから、ここにはラディカル・デモクラシーとの共通性が見出される。

 こうしたポピュリズムへの対処法としては、主に四つの方法が挙げられる。第一は「孤立化」である。これは、既成政党がポピュリストと非協力の姿勢をとるものである。ただしこの方法は善悪二元論の域を出ず、既成政党を一括して批判するポピュリストの主張の裏返しとなってしまう。第二は「非正当化」あるいは「対決」である。これはポピュリズム政党の正統性を否定し、積極的に攻撃を仕掛けるものである。第三は「適応」あるいは「抱き込み」である。これはポピュリズム政党の正統性を一旦承認し、その挑戦を受けて自己改革に努めるものである。この対処法には有権者の不満を緩和し、ポピュリズム政党の周縁化を促す効果がある。第四は「社会化」である。これはポピュリズム政党に働きかけて変質を促し、リベラル・デモクラシーの枠内で飼い慣らすものである。だがこうした方法があるとはいえ、ポピュリズム政党がデモクラシーを脅かさぬためにはデモクラシー自体への信認が必要である。すなわち「抱き込み」や「社会化」にもリスクがあり、ポピュリズムに対する万能の処方箋は無いのだ。

ポピュリズムの黎明

 「ポピュリズム(Populism)」の語源になったのは、アメリカの人民党(People’s Party)とされる。人民党は19世紀末に創設され、共和党と民主党というアメリカの二大政党が掬い上げない社会運動の受け皿となり、農民と労働者を保護した。人民党の支持基盤は「普通の人々」にあったのだ。人民党は短命に終わるが、ポピュリズムの先例を作ったその歴史的意義は大きい。

 ポピュリズムの次なる舞台はラテンアメリカだった。1930年代以降、大地主や鉱山主などの寡頭支配に国民の不満が募り、エリート批判を行うカリスマ的な指導者の出現がそれに拍車をかける。ここで台頭してきた指導者には、アルゼンチンはペロン、ブラジルはヴァルガス、メキシコはカルデナス、エクアドルはベラスコなど、中間層出身者が見出される。彼らはラジオや遊説を駆使して大衆を熱狂させる一方、商品経済に政府を介入させることで大衆消費を開拓する功績をなした。現在、彼らの多くは権力の座を退いたが、こうしたポピュリズムの温床となった構造的不平等はラテンアメリカにまだ残存している。

 第二次世界大戦後にはヨーロッパでも極右政党が成立し、ポピュリズムが姿を現すことになる。左派と右派の「野合」や既成政党の「同質化」に対し、有権者の不満を受け入れる既成政党の「常識」に挑戦する動きが生れてきたのである。労働組合の衰退や無党派層の増大といった「組織の時代」の終焉はそれを助長し、エリート層が社会への「把握力」を低下させたことで「断絶」がもたらされ、既存の政治家は「私たちの代表」ではなく「彼らの利益の代弁者」と見られるようになる。「近代化の敗北者」も、エリート層が主導したグローバル化に伴う格差の拡大に不満を示すようになる。

ポピュリズムの「リベラル」な論理

 ヨーロッパのポピュリズムには次の特徴が見出される。まずオランダの自由党などは党組織が弱い反面、「タブー」を破る発言でメディアの注目を集めている。またスイスの国民党などは直接民主制を志向し、国民投票と移民排除を組み合わせた方針を採っている。更に福祉の対象を自国民に限定し、福祉政策にとって負担となる移民の排除を訴える「福祉排外主義」も、ヨーロッパのポピュリズムの特徴である。

 ヨーロッパのポピュリズム政党には戦後から長い歴史を持つものがある。この長い歴史の中で、例えばベルギーのフラームス・ベランフ(VB)への賛否を巡る競合を通じては、政治空間が「活性化」される効果がもたらされた。すなわち、ポピュリズム政党の台頭で既成政党は「改革」を促されたのである。例えば既存政党の自由進歩党はフランデレン重視に政策を転換し、また同じく既存政党の社会党が女性や青年の多用によって党内を活性化させた。このように、リベラル・デモクラシーの「防疫線」を越えてポピュリズムの影響が及び、既存の利益誘導政治が克服されていったのである。

 以上のようなヨーロッパにおけるポピュリズムの生成過程はまさに民主主義の逆説であり、リベラルゆえの排外主義という姿勢がそこにはあった。すなわち、近代的・世俗的価値観と相容れない「危険な宗教」としてイスラーム教を批判する動きが働いていたのだ。すなわち、デンマークやオランダといった環境・福祉先進国において排除正当化の「リベラル」な論理が発達してきたのである

 「理想の国」と思われてきたスイスも、その波を免れていない。少数派政党が存在感を示す機会として直接民主制を志向するスイスの国民投票が利用されたことは、ポピュリストの主張を世間に示す機会となった。またイギリスのEU離脱も、国民投票の結果である。エリート出身ながら庶民的な振る舞いや言葉遣いで庶民の心を掴んだファラージュがイギリス独立党を率い、「置き去りにされた」人々の支持を集めた。エリート層が労働者層に「チャブ」という蔑称を押し付けるなどして彼らを「怠惰」と非難したことが、社会的分断を助長していたのである。

グローバル化するポピュリズム

 アメリカで生まれ、ラテンアメリカで再興し、ヨーロッパで拡大したポピュリズムは確実にグローバル化している。世界の各ポピュリストには共通項が見出されるのだ。いずれの政党にも共通するのは支配文化への対抗という立場であり、そこには「多様性」や「寛容」といった既存の価値観への疑問、移民問題を先送りにする学界への反抗などといった背景がある。また欧州議会でもポピュリズムが展開されている。「実務型」のEUに反対するポピュリズム政党の躍進は、欧州議会を通じて欧州統合を阻止する皮肉となった

    このように各国のポピュリズムには共通した傾向が見られる一方、ラテンアメリカとヨーロッパとでは明らかな相違点も見られる。すなわち、前者は国家機能拡大を要求するが、後者は「特権層」を引きずり下ろそうとする。また前者は直接遊説を重視する一方で、後者はネットを重視するという、メディア戦略の違いもある。

 この著書全体を通してポピュリズムについて明らかになったことは、大きく三つある。第一は、リベラル・デモクラシーとポピュリズムとの関係である。すなわち、「リベラル」や「デモクラシー」を突き詰めるとポピュリズムを正当化できてしまうということである。第二は、ポピュリズムの持続性である。一般にカリスマ的リーダーがいなくなれば瓦解すると考えられるが、既成政党が採用しがたい政策理念を身に纏うことでポピュリズム政党は「受け皿」としての位置を保つのである。第三は、ポピュリズムによる「改革競争」と「再活性化」である。ポピュリズムは問題提起によって政治を改善する効果を持つ安全弁ともなる。

    だが、フィリピンのポピュリストであるドゥテルテが行うような「超法規的殺人」の例を見れば、ともすると法治国家の枠内を超えて暴走してしまうポピュリズムが制御可能なのかは怪しい。現在の我々は、ポピュリストという厄介な「ディナー・パーティーの泥酔客」にどう対処すべきかを問われているのである。

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  以上が著書の内容である。水島の議論は、ポピュリズムとデモクラシーとの親和性、そしてポピュリズムがもたらす改革の可能性に肯定的な評価をも与えたという点に価値がある。とりわけ水島がポピュリズムを肯定的に評価したことは、同じ書名でポピュリズム論を著したJ. W. ミュラーの議論と好対照である

 ミュラーの議論はポピュリズムそのものを否定的な立場から検討し、これをデモクラシーの敵であるとして、その危険性を一般に示すことを目的とする内容になっている。彼はポピュリズムの持つ「反多元性」を批判しているが、この姿勢は彼のリベラルな立場から来るものであろう。

    だがポピュリズムの危険性を指摘するミュラーの主張には首肯できる部分もあるとはいえ、一面的な「断罪」に傾く彼の議論には疑問が残る。また彼の著書の内容は難解であり、一般民衆への警告の書と呼ぶには無理がある。そういう意味で、リベラル・デモクラシーの模範とされてきたオランダ政治を批判的に検討することから始まり、それをより広範にポピュリズム論として一般向けにまとめた水島は、ミュラーよりも的確で公平な議論を展開しているといえよう。

 しかしながら興味深いのは、水島が決して中立的ではなく、むしろデモクラシーを維持するという立場からポピュリストへの対処を唱えていることである。彼が序章においてポピュリズムへの対処法を示し、またそれを肯定的な意味で「処方箋」と名状したのもそうした姿勢の表れであろう。彼がポピュリズムの効用までも詳細な検討の対象としたことには、民主主義を脅かそうとする思想潮流について詳しく知ることで、民主主義の崩壊を避けたいという意向が看取される。

次回の文献紹介は中山治一『史学概論』です。




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