2017年2月26日日曜日

メイドラゴン=ユグノー説(3)

 この考察も第3話まで至りました。第3話の視聴を通じて新たに発見された寓意の根拠について以下に記述します。

根拠①
 小林さんはトールとカンナと共同生活を始めたために、部屋が手狭になって不都合が生じました。そこで、小林さんが安くはないであろう費用を出して、彼女達は新しく広い部屋に引っ越し、そこでトールとカンナは自分達の個室を手に入れました。これは、最初のうち礼拝所をドイツ系カルヴァン派信徒と共同利用していたユグノーが、ドイツ系カルヴァン派信徒と施設の利用を巡ってトラブルを起こしたこともあって、固有の礼拝用施設を領邦君主に建設して貰ったことと一致します。もちろん新築ですから、かなりの費用を要しています。

根拠②
 トールは自分のことを「綺麗好き」だと言っていましたが、これはカルヴァン派信徒としての清純さを表しています。

根拠③
 カンナが小林さんの幼い頃の写真が入っているアルバムに興味を示していました。ユグノーからは、後に沢山の歴史家が輩出されます。アルバムで小林さんの過去に興味を抱いたのは、歴史家としての関心に繋がるような「過去」への知的好奇心の萌芽でしょう。

根拠④
 トール「この世界(プロイセン)は制約が多いですよね」と発言しています。それもそのはず、ユグノーの故郷である先進国フランスと比べれば、プロイセンは田舎だったからです。

根拠⑤
 小林さんの自宅付近の道がベルリンのウンター・デン・リンデンに似てる・・・似てない?

根拠⑥
 後半では、小林さんの部屋があるマンションで騒音問題が生じます。小林さんは最初にトールを疑いますが、彼女は無実でした。どうしてトールを疑ったのでしょうか。それは、彼女が人間界の外部から来た者だからです。ユグノーに関しても、現地人によるゼノフォビア(外国人嫌い)は問題となりました。外国人が存在する場所で何か事件などが起こると、外国人を疑いがちなのはある程度普遍的な現象だということでしょう。古くから多くの移民や難民を受け入れてきたプロイセンでも、例えば、1848年革命に際して当時の国王フリードリヒ=ヴィルヘルム4世が、革命が外国に出自を持つ人々の陰謀によるものだと主張することもありました。

根拠⑦
 さて、この騒音問題ですが、同じマンションに住む三人の住人がそれぞれに出していた音が原因となっていたことが分かり、小林さんはトールを派遣して事態を収拾させます。近世のブランデンブルク=プロイセンでは、地方の在地貴族である等族をどうやって君主の下に服従させるかという問題がありました。そこで、君主に従順なユグノーを登用して影響力を行使したわけです。ここでは、三人の住人がそれぞれ別個の等族に当たります。また、三人それぞれの立場が主婦、ヘビメタ好き、木彫り職人(?)と多様ですが、これは領邦内の多様性を表しています。こうした多様な領地と多様な関係を築くことで近世ヨーロッパ的な「礫岩のような国家」が成立しているわけです。そして、トールによる調停が上手く進まず、三人が言い争いを始めると、そのタイミングで小林さんが仲裁に入り、事態を収めました。これは、領邦内で起こった等族間の争いを調停することで中央の権力を結果的に強化してきたというプロセスを示したものです。

根拠⑧
 終盤では、トールが「ドラゴン」達を招いてパーティーを開きました。ユグノーの同胞意識と人脈の広さがそこに表れています。

根拠⑨
 小林さんは「トールに感謝している」と発言していますが、これはユグノーの流入によってホーエンツォレルン家ら支配層の奉じるカルヴァン派信徒の勢力が確固たるものとなり、ブランデンブルク=プロイセンが経済的・文化的に明るい兆しを見せ始めたことの寓意です。

 もう少しペースを上げていきたいですね。

<参考文献>
近藤和彦/古谷大輔 編(2016)『礫岩のようなヨーロッパ』、山川出版社
阪口修平(1988)「プロイセン絶対王政と身分制」『プロイセン絶対王政の研究』、中央大学出版部、pp. 135-166
塚本栄美子(2001)「プロテスタント領邦における臣民と規律化」『西洋史研究』第30号、pp. 152-163
塚本栄美子(2002)「ブランデンブルク=プロイセンにおけるユグノー ―その受けいれをめぐって―」『岐阜聖徳学園大学紀要<教育学部編>』第41集、pp. 43-55
塚本栄美子(2011)「近世ベルリンにおける「フランス人」の記憶-第一世代シャルル・アンションの歴史書-」『佛教大学歴史学部論集』創刊号、pp. 51-68

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