2017年7月31日月曜日
2017年7月31日(月)
2017年7月30日日曜日
2017年7月30日(日)
突き刺すような日光が気温の変化に弱い一学生を襲う。
何としてでも私を活動させまいとする陰謀が、太陽系規模で渦巻いているのだろうか。
それでも一日のノルマは曲がりなりにも達成できた。
夜には久し振りに酒を飲んだ。
苦しい中でも、よく目を凝らせば光明は見える。
今まで沢山の日々を過ごしてきたが、今は我慢の時代だ。
死なない程度に頑張ろう。
2017年7月29日土曜日
2017年7月29日(土)
日頃の心労がここ数日でも最高潮の位まで達し、本年度最悪の土曜日となった。
ボジョレー・ヌーヴォーが毎年やたらポジティヴな評価を付されているのと好対照に、私は毎日こんなことを宣っているような気がする。
研究室で缶詰めになったものの、進捗はすこぶる悪い。
むしろ後輩たちと雑談しながら作業をしていた平日の方がよく進んだ。
言い訳になってしまうが、今日は近世ドイツの官用文体を特に多く読まねばならなったのが原因だったのではないか。
ドイツ語というのは、やたらと関係代名詞節が長くなりやすい言語だが、前近代の官用文体となると尚更だ。
「人は見たいようにものを見る」とはその通りで、ピリオドと思っていた記号がよく見るとコンマであったということは、こういう長ったらしい文句を見せられている時によくある。
ブランデンブルクの大選帝侯様は、自分の書いた文言を遥か極東の学生が300年以上も後に訳すことになるとは想定しとらんかったろう。
そんなことも想像できる先見の明を持たないから、「大王」ではなく「大選帝侯」止まりなのだ。
とはいえ、フリードリヒ「大王」もその著作の多くをフランス語で残しているのだから、初級文法を習ったとはいえフランス語知識に乏しい私は大好きな彼の著作を原文では読み解けぬ。
いやいや、そんなことを口走っておっては、これから先どうするというのか。
ただ、確実に前進しているという感覚、未来に引っ張られているという確信はある。
ぼちぼちやっていこう。
2017年7月28日金曜日
2017年7月28日(金)
今日は慌ただしい一日だった。
まあ色々とあったのだが、一番の出来事は他大のミリタリーオタクの方々と交流させて頂いたことだ。
如何に自分の軍事知識が不足しているか思い知らされる一方、交流相手が増えて喜ばしくも思われる。
また、近所に他大からのフォロワーさんがおられたことには驚いた。
かのヒャダインさんのご実家も私の住む地区にあるというから、世間は狭いといえば狭いものである。
明日からは研究室に二日連続で缶詰め状態だ。
翻訳作業も先が見え始め、あとは突っ走るのみか。
一方で、愚直過ぎる自分の在り方に変更が迫られているのを、ここ一年間で強く感じている。
約半年後には私も別人になる定めである。
2017年7月27日木曜日
2017年7月27日(木)
慌ただしさの波に呑まれてみれば、結局は自分の研究を全くできずに一日が終わる。
ここ最近でも特に実りの少ない日であった。
しかし、良いことが無かったわけでもない。
早朝から出かけた通院先では、装具有りならばもう自転車に乗っても良いくらいに骨折が回復しているとの旨伝えられた。
まあ、そうだろうと思っていたが。
その後、診察後に自宅へ戻り、ベッドで横になってしまえば二度寝は不可避であった。
学習能力の低い男である。
またもや正午を過ぎるまで覚醒せず、大学ではただただ試験に出席するのみ。
ラテン語のテストは思ったよりスムーズに解けた。
とはいえ、有り難くも先生が補助輪を付けてくれるテストであるから、これで初級ラテン語の前半部分を習得したことにはならんだろう。
ある後輩はラテン語で私を茶化すような短文を作るほどに実践へ力を入れているというのに、私はそれに及ばぬラテン語力ときた。
「ギリシア語とラテン語は知識人の基礎教養」とはよく言ったものだが、どうも私はまだまだその域に達せぬようである。
本棚に学術本の並ばぬ家庭で育った劣等感のために執拗なまでの知識欲はあっても、実力がそれに追いつかぬのだ。
2017年7月26日水曜日
2017年7月26日(水)
正午を過ぎる前に体を起こしたのだ。
起床時刻は11時。
明治維新並みの変革である。
昼食を終え、悪友と約束の地で疾風怒濤の如き工作活動を為したのち、野郎二人でコーヒーを飲んだ。
秋に南大阪で小学生と混じって大人気無き自転車マッチレースを仕掛ける計画を立て、悪友と別れた。
論文を要約した後、魑魅魍魎の秘密集会に参加。
翻訳作業をしながら話を聞いていた。
驚くべきは、かような集会が身近な所で定期的に開かれていることである。
夜は先輩と共にラーメンを食す。
振り返ってみれば、今日の私はそれぞれ別世界に属する人間たちと関わったことになる。
それはそうとして、超A&Gのラジオ『ヒャダインのわーきゃーいわれたい』で一ヶ月前に病室のベッドから投稿したメールが読まれた。
これは今後、人生の汚点となり、忘れ難き想い出となろう。
2017年7月25日火曜日
2017年7月25日(火)
本日も正午を過ぎてから体を起こした。
先週から心と体の調子が芳しくない。
惰性のまま大学へ向かい、大して質の良くないレポートを提出した。
その後は後輩たちと歓談しながら翻訳作業を進める。
しかし、亀の歩みである。
日課とすべき論文要約も、確実に筆者の意図を汲んで纏められているのか甚だ疑問である。
ドイツ語教練のために鉄道で梅田練兵場へ赴くと、車中から天神祭へ向かう人々が見える。
世間様では、お祭り事に熱狂する様を殊更シニカルに軽蔑する向きもあるが、私はどうでも良いと思っている。
しかし一方で、それが縁日にしろ花火にしろ、私にとっては対岸の出来事であった。
あれは「革命」ではなく、ただの「暴動」なのだ。