2017年7月31日月曜日

2017年7月31日(月)

 大学入学から3年という大きな節目を過ぎ、来年春には、大学卒業を迎えます。私も齢20を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数ヶ月、学生としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 何週間か前のことになりますが、左足首の外科手術を受け、加えて「住吉大王は死んだ」とのデマが流され、教職担当の先生から本当に「死んだ」と勘違いされるなど噂が独り歩きし始め、某同好会で後輩たちによる私への黙祷が行われた頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に齢20を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が某サークルに入ってから、ほぼ3年、この間に私は、我がサークルにおける多くの喜びの時、また悲しみの時を、皆と共に過ごして来ました。私はこれまで一員の務めとして、何よりもまず皆の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました。こうした意味において、世界の各地、とりわけ辺境の地や島々への合宿も、大切なものと感じてきました。プライベートの時間も含め、これまで私が行なってきた世界全域に及ぶ旅は、世界の何処においても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させたことは、幸せなことでした。

 私の多忙化に伴う対処の仕方が、活動参加や、その一員としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。今思えば、あのサークルに入ったことも、運命のイタズラを感じさせます。母方の曾祖父は、戦艦大和の造船技官だった気がしてきました。両家とも代々、江戸時代からの武士・軍人の家系だったら良いなぁ。世が世なら、私の意志に関係無く陸軍士官学校か海軍兵学校に籍を置いていたことでしょう。

 そうした中で、この度、我が学生生活の歴史を改めて振り返りつつ、象徴ツイッタラーの務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことを一重に念じ、ここに私の気持ちをお話し致しました。

2017年7月30日日曜日

2017年7月30日(日)

外に出るのは億劫だ。

突き刺すような日光が気温の変化に弱い一学生を襲う。

何としてでも私を活動させまいとする陰謀が、太陽系規模で渦巻いているのだろうか。

それでも一日のノルマは曲がりなりにも達成できた。

夜には久し振りに酒を飲んだ。

苦しい中でも、よく目を凝らせば光明は見える。

今まで沢山の日々を過ごしてきたが、今は我慢の時代だ。

死なない程度に頑張ろう。

2017年7月29日土曜日

2017年7月29日(土)

日頃の心労がここ数日でも最高潮の位まで達し、本年度最悪の土曜日となった。

ボジョレー・ヌーヴォーが毎年やたらポジティヴな評価を付されているのと好対照に、私は毎日こんなことを宣っているような気がする。

研究室で缶詰めになったものの、進捗はすこぶる悪い。

むしろ後輩たちと雑談しながら作業をしていた平日の方がよく進んだ。

言い訳になってしまうが、今日は近世ドイツの官用文体を特に多く読まねばならなったのが原因だったのではないか。

ドイツ語というのは、やたらと関係代名詞節が長くなりやすい言語だが、前近代の官用文体となると尚更だ。

「人は見たいようにものを見る」とはその通りで、ピリオドと思っていた記号がよく見るとコンマであったということは、こういう長ったらしい文句を見せられている時によくある。

ブランデンブルクの大選帝侯様は、自分の書いた文言を遥か極東の学生が300年以上も後に訳すことになるとは想定しとらんかったろう。

そんなことも想像できる先見の明を持たないから、「大王」ではなく「大選帝侯」止まりなのだ。

とはいえ、フリードリヒ「大王」もその著作の多くをフランス語で残しているのだから、初級文法を習ったとはいえフランス語知識に乏しい私は大好きな彼の著作を原文では読み解けぬ。

いやいや、そんなことを口走っておっては、これから先どうするというのか。

ただ、確実に前進しているという感覚、未来に引っ張られているという確信はある。

ぼちぼちやっていこう。

2017年7月28日金曜日

2017年7月28日(金)

今日は慌ただしい一日だった。

まあ色々とあったのだが、一番の出来事は他大のミリタリーオタクの方々と交流させて頂いたことだ。

如何に自分の軍事知識が不足しているか思い知らされる一方、交流相手が増えて喜ばしくも思われる。

また、近所に他大からのフォロワーさんがおられたことには驚いた。

かのヒャダインさんのご実家も私の住む地区にあるというから、世間は狭いといえば狭いものである。

明日からは研究室に二日連続で缶詰め状態だ。

翻訳作業も先が見え始め、あとは突っ走るのみか。

一方で、愚直過ぎる自分の在り方に変更が迫られているのを、ここ一年間で強く感じている。

約半年後には私も別人になる定めである。

2017年7月27日木曜日

2017年7月27日(木)

慌ただしさの波に呑まれてみれば、結局は自分の研究を全くできずに一日が終わる。

ここ最近でも特に実りの少ない日であった。

しかし、良いことが無かったわけでもない。

早朝から出かけた通院先では、装具有りならばもう自転車に乗っても良いくらいに骨折が回復しているとの旨伝えられた。

まあ、そうだろうと思っていたが。

その後、診察後に自宅へ戻り、ベッドで横になってしまえば二度寝は不可避であった。

学習能力の低い男である。

またもや正午を過ぎるまで覚醒せず、大学ではただただ試験に出席するのみ。

ラテン語のテストは思ったよりスムーズに解けた。

とはいえ、有り難くも先生が補助輪を付けてくれるテストであるから、これで初級ラテン語の前半部分を習得したことにはならんだろう。

ある後輩はラテン語で私を茶化すような短文を作るほどに実践へ力を入れているというのに、私はそれに及ばぬラテン語力ときた。

「ギリシア語とラテン語は知識人の基礎教養」とはよく言ったものだが、どうも私はまだまだその域に達せぬようである。

本棚に学術本の並ばぬ家庭で育った劣等感のために執拗なまでの知識欲はあっても、実力がそれに追いつかぬのだ。

2017年7月26日水曜日

2017年7月26日(水)

今日は素晴らしき進歩を成し遂げた。

正午を過ぎる前に体を起こしたのだ。

起床時刻は11時

明治維新並みの変革である。

昼食を終え、悪友と約束の地で疾風怒濤の如き工作活動を為したのち、野郎二人でコーヒーを飲んだ。

秋に南大阪で小学生と混じって大人気無き自転車マッチレースを仕掛ける計画を立て、悪友と別れた。

論文を要約した後、魑魅魍魎の秘密集会に参加。

翻訳作業をしながら話を聞いていた。

驚くべきは、かような集会が身近な所で定期的に開かれていることである。

夜は先輩と共にラーメンを食す。

振り返ってみれば、今日の私はそれぞれ別世界に属する人間たちと関わったことになる。

それはそうとして、超A&Gのラジオ『ヒャダインのわーきゃーいわれたい』で一ヶ月前に病室のベッドから投稿したメールが読まれた。

これは今後、人生の汚点となり、忘れ難き想い出となろう。

2017年7月25日火曜日

2017年7月25日(火)

本日も正午を過ぎてから体を起こした。

先週から心と体の調子が芳しくない。

惰性のまま大学へ向かい、大して質の良くないレポートを提出した。

その後は後輩たちと歓談しながら翻訳作業を進める。

しかし、亀の歩みである。

日課とすべき論文要約も、確実に筆者の意図を汲んで纏められているのか甚だ疑問である。

ドイツ語教練のために鉄道で梅田練兵場へ赴くと、車中から天神祭へ向かう人々が見える。

世間様では、お祭り事に熱狂する様を殊更シニカルに軽蔑する向きもあるが、私はどうでも良いと思っている。

しかし一方で、それが縁日にしろ花火にしろ、私にとっては対岸の出来事であった。

あれは「革命」ではなく、ただの「暴動」なのだ。

2017年7月24日月曜日

2017年7月24日(月)

今日は、昨日の失敗を引き摺ってか、暗鬱な一日となった。

時計の短針が12を回ってから体を起こし、治りかけの足を動かしながら大学へと向かう。

学生に特有な怠惰のカリカチュアである。

大学の自習室でPCに向かい合うも、翻訳作業が捗らぬ。

やたら喉も渇くので、最近より味に飽き始めた大正義オランジーナを自販機で購入して一杯やった。

中庭を見遣ると、此の世の終末を思わせるような木製のベンチが佇んでいる。

この前衛芸術作品は、片側は背凭れだけ、もう片側は座部だけという歪な形をしている。

どうしてもこの椅子から目が離せなくなった。

もしかすると、この物体に出会うことは前から予定されていたのかもしれぬ。

私の翻訳作業も、夏のうちに終わることが予定されているのだ。

それが「予定」である以上、今の苦悩や苦心は必然である。

「過程」があるから「結果」に繋がるのではない。

「結果」があって初めて「過程」が成立するのだ。