西洋史上、「大王」と呼ばれる君主は何人か存在する。
中でも世界史の教科書などで大々的に取り上げられるのが、マケドニアのアレクサンドロス大王とプロイセンのフリードリヒ大王である。
彼らに共通するのは、男性であること、戦争を指揮して領土を拡大したこと、多様な臣民に対して寛容さを示したことなどだ。
まず、アレクサンドロスもフリードリヒも男である。
ロシアの女帝エカチェリーナ2世は「大帝」と呼ばれることがあるものの、イングランドの女王エリザベス1世が「大王」と呼ばれることはまず無い。
また、彼らは優れた戦略家・戦術家であり、自らも戦場へ赴き、最前線で指揮を執った。
政治家たるのみならず、軍人としても活躍し、そのハイスペックさを見せたのだ。
そして、彼らは器も大きかった。
アレクサンドロスはコスモポリタニズムの流れの中、征服地のペルシア人とギリシア人との通婚を奨励するなど、被征服民との融和を図った。
フリードリヒは宗教的少数派の受け入れや宗教寛容令の公布などを行なった。
アレクサンドロスは世界征服を目指した大帝国の君主、フリードリヒは新興国を発展させた啓蒙君主という違いはあるものの、「大王」という言葉には、尊敬や賞賛を前提として共通したニュアンスが込められているはずだ。
したがって、これを歴史家が正式な論文などで用いる場合、注意を要することになろう。
「大王」という尊称は、その人物の業績を無批判にそのまま肯定してしまうこととなりかねない。
こういった言葉の慎重な選び方に関しては、しかしながら私も迷っているところである。
私にとって、差し当たりの課題だ。
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