2017年8月2日水曜日

2017年8月1日(火)

命懸けで頑張っている人間に対して心なく冷や水をかける愚者というのは、いつの世にも存在する。

その愚者の宣うことそれ自体に傾聴すべきものはあるのかもしれぬが、問題はこちらの文脈も察せぬ横柄なまでの無神経さである。

正しければ時がこれを証明する。

かつてイエス・キリストは有象無象によって磔に処されたが、後にその威光を輝かせた。

信仰は救済のための条件であるのみならず、そのもので武器となる。

受難によってもたらされた痛々しき聖痕は、正しさの証だ。

程度の低いこの土俵からは堂々と退場してしまおう。

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